この時期になると村上春樹をきっかけに恩師を想う。
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今日の更新は普通に真面目に書きますw
今年のノーベル文学賞が発表されましたね。
今年の受賞はボブ・ディラン。
恥ずかしながらこのニュースで初めてボブ・ディランを知りました。
アメリカの歌手なんですね。
歌手がノーベル文学賞を取ったということで、やはりいろいろなところで賛否両論あるみたいですが。
この受賞ニュースでボブ・ディランを知ったので、「歌手の傍ら執筆活動もしてたんだなぁ・・・どういう作品出してるんだろう?調べてみよう」と勘違いしたんですよね。
しかし、調べてみると、まさかの音楽表現(?)での受賞とのこと。
いろんな意味で衝撃的ですね。
一周回ってアリかなとも思うけど、今まで作家のための賞だったし作家の方々が受賞されるべきとも思います。
「詩的表現」という観点から観れば、ボブ・ディランも素晴らしい文章を書くのかもしれないけれども……。
そして本題へ。
毎年恒例で「村上春樹受賞逃す」という話題が上がる。
私は村上春樹の作品をしっかりと読んだことがない。
高校2年生のちょうどこの時期、「1Q84」を読もうとして挫折した経験ならある。
なぜ読もうと思ったのか?
それは、当時の国語の先生が授業中に村上春樹の話題を出したから。
「もうすぐノーベル文学賞が発表されます。先生は村上春樹に取ってほしいなーって思っていますが、なかなか取ることができないんですよね。ノーベル文学賞のニュースとかそのうち出てくるから、頭の片隅にでもいれておいてね(笑)」
ざっくりそういう話だったと思う。
本当にちょっとした雑談の括りでしかないし、その先生自身があの時そう語ったことを覚えてらっしゃるかどうかも微妙なところ。
私はノーベル文学賞の話題が出る度に先生の雑談を思い出す。
そして、私にとって恩師と呼べる先生でもある。
高2の時に勉強する意義や学校に通う意義を見い出せなくて、でも単位のために授業出ていて精神的にとても苦しかった。
そんな時に、その先生の国語の授業を受けていくうちに、学ぶことの奥深さ、授業を受ける大切さ、人として大事なこと、、いろいろなことを学んだ。
その授業を受けることによって、他の授業も頑張ろうって思うようにもなったし、少しずつ学校に楽しさも見いだせるようになってきた。
もし、その先生の授業を受けていなければ高2の途中くらいで退学していたかもしれない。
そう思うと感謝しても感謝しきれない。
小中学生時代は学校も先生も大嫌いだったのに、初めて心から尊敬できる先生に出会えたし、私もこういう先生になりたいって思うようになった。
教育の道を志すようになって、まだまだ心が揺らいでいる。
本当に通信で資格取って小学校教諭を目指す方向でいいのだろうか、ICT教育を深く学びたいから別の大学通いたい気持ちもあるし、キャリア教育にも関心が強いし、英語を専門的に教えたい気持ちもあるし、、いろいろと関心がある故に一つに絞れない。
学童で働きはじめて、自信をなくした部分もある。
しかし、どのような道に進んでも、その先生のようになりたいという最終的な目標は揺らいでいない。
私にとって、ノーベル文学賞は、自分のモチベーションを確認するきっかけにもなるし、恩師との想い出を思い返すきっかけにもなっている。
この秋は、頑張ってノルウェーの森を読破したい。